市川三郷町(歴史)概要: 市川三郷町は比較的早くから開けていた地域で古代甲斐国の支配級の古墳とされる甲斐銚子塚古墳と同じ曾根丘陵にある大塚古墳、エモン塚古墳、伊勢塚古墳、鳥居原狐塚古墳が大塚古墳群を形成し関係性が窺えます。天永年間(1110〜1113年)には甲斐源氏の祖とされる新羅三郎義光の3男源義清が市河庄、青島庄の下司となりこの地に居館を築いたとされます。中世は一条氏が支配し、武田家政権下では一族である信龍が一条氏の名跡を継ぎ、信玄配下の副将に位置づけられ武田家滅亡の際にも居城である上野城(一条氏塁跡)に立て籠もり、侵攻する徳川家と対立し戦死したと伝えられています。
江戸時代に入ると天領となり明和2年(1765)には紺屋町陣屋(静岡県静岡市)の主張所として市川陣屋が設けられ3万石から7.5万石程度を支配しました。明治維新後に一時市川陣屋に県庁が設置され市川県が立県し県庁所在地となりましたが、その後、甲斐国内の他の県と合併し甲府県となり、さらに山梨県となっています。
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