小山城(笛吹市)概要: 小山城の築城年は不詳ですが宝徳2年(1450)には穴山伊豆守が城主となり、当時の甲斐守護職である武田信重の居館(現在の成就院)を攻め落としています。
永正元年(1540)は穴山伊予守信永が城主で、大永3年(1523)、南部下野守宗秀と花鳥山で交戦後、小山城で攻防戦が繰り広げられ落城しています。その後は南部氏の持城となりましたが天文17年(1548)、宗秀が乱交を働いたとの理由で武田信玄と対立し追放、小山城は廃城となります。
天文10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻により武田家が滅びますが、数ヵ月後本能寺の変により信長が自害すると、甲斐の領主が不在となり徳川家康と北条氏直が領有権を主張して緊張状態となります。徳川家康は小山城を戦略的拠点の1つと考え鳥居元忠に命じて城を修築させ騎馬130、雑兵600人を守らせたと伝えられています。
混乱が収拾すると小山城の重要性が失われ廃城になりました。現在も郭の形状や土塁、虎口の形状、櫓台の礎石、空堀など比較的遺構が残り、歴史的な重要性などから昭和48年(1973)に笛吹市指定史跡に指定されています。
小山城:上空画像
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