笛吹市(歴史)概要: 笛吹市は山梨県の中で古くから政治や文化の中心だった地域で4世紀末には大丸山古墳や銚子塚・丸山塚古墳など大型の古墳が築造され、当時の笛吹市には大きな勢力を持つ豪族が存在していたと共に中央との結び付きが強かったと思われます。7世紀には山梨・八代・巨麻・都留からなる甲斐国が立国し、八代郡であった笛吹市には国府(国衙)が設置されました。国府の正確な位置は不詳ですが条理制地割と思われる遺跡や寺本廃寺跡などがあり当時から甲斐国の中心地として開発されていたことが窺えます。
天平13年(741)には聖武天皇の勅願により国分寺と国分尼寺も笛吹市に設置され、甲斐国一宮も現在の笛吹市一宮町に鎮座する甲斐国一宮浅間神社だと比定(諸説有り)されています。平安時代後期には甲斐源氏である源義清・清光の親子が入国し鎌倉時代には武田信光が石和御厨を本拠に甲斐守護職に就任すると多くの社寺仏閣が造営され長く甲斐国の行政、文化の中心地として栄えました。
室町時代に入り武田家の地位が確立すると戦国大名化し、武田信虎の代に本拠を躑躅ヶ崎館(武田氏館)に移すと中心地として地位が後退しました。江戸時代に入ると、甲府藩又は天領となり笛吹市には石和代官所(陣屋)が設置され周辺の行政の中心となり、甲州街道が開削されると石和宿が開かれ、物資や旅人が往還経済的にも発展しました。明治維新になると石和陣屋に一時県庁が置かれ石和県が立県しましたが、その後、甲斐国内の他の県と合併し甲府県となり、さらに山梨県となっています。
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