南部町(歴史)概要: 南部町は古くから甲斐源氏の一族である加賀美遠光を祖とする南部氏の本拠だった土地柄です。遠光の3男光行が南部氏を名乗りこの地を治めると浄光寺や妙浄寺、新羅神社など南部氏縁の社寺仏閣の造営や領地の寄進を行い領内経営を行います。
鎌倉時代に入り奥州遠征に功を上げた南部氏は新たに奥州に領地が与えられ、本拠を移すと後裔は大名化し盛岡藩10万石(後20万石)を立藩するまでになっています。
江戸時代に入ると東海道と甲府を繋ぐ駿州往還が整備、南部町には南部宿が設けられ周囲の集積場として経済的な中心地となりました。
又、慶長12年(1607)には富士川舟運が開削されと南部には川湊が認められ物資の運搬や旅人の乗船などに利用され大いに反映しました。明治時代に入り交通網が整備されると宿場町や川湊が次第に衰微します。
|