中央市(歴史)概要: 丘陵部には縄文時代から古墳時代にかけての遺跡が点在するものの、平野部は笛吹・釜無両河川の氾濫原であった為、遺跡が破壊されその姿を知る手がかりは少ないとされます。平安時代に入ると荘園開発が進み八条院領の鎌田荘や東北院領の布施荘、安楽寿院領の小井川荘などが成立しています。
中世に入ると鎌田氏や浅利氏などが地頭として支配し、戦国時代に武田家が領すると治水工事が行われ急速に開発が進みます。
江戸時代に入ると天領となり一時甲府藩となるものの幕府直轄の上飯田代官支配となります(一部、田安家領)。河川の氾濫は度々起り、飢饉なども重なり天保7年(1836)の天保騒動(甲斐国全域で起った大規模一揆)では市内でも大きな被害も受けています。
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