甲州街道(山梨県)概要: 山梨県の甲州街道は上野原宿(上野原市)から教来石宿(北杜市)までの区間で、江戸城の支城である甲府城(山梨県甲府市)の城下町を通過し江戸に至る事から重要視されました。その為関所も多く、上野原宿(山梨県上野原市:諏訪番所)、小仏宿(東京都八王子市:小仏関所)、鶴瀬宿(山梨県甲州市大和町:鶴瀬関所)、教来石宿(山梨県北杜市:山口関所)に関所が設けられ人や荷物の出入が厳しく管理され、参勤交代は甲州街道沿いにあった高島藩(長野県諏訪市)と長野県東部を領した、高遠藩(長野県伊那市高遠町:高遠城)、飯田藩(長野県飯田市:飯田城)の3藩しかありませんでした(江戸時代初期は甲府藩が立藩してましたがその後廃藩となり幕府の直接支配:天領となっています)。元々、甲州街道は江戸城の搦め手や裏門を守護する軍事的意味合いの強い街道として整備された為、庶民の往来も他の五街道(日光街道・奥州街道・中山道・東海道・甲州街道)に比べると一番少なく、各宿場町も大きくは発展しましせんでした。甲州街道は中山道の下諏訪宿で分岐し、下諏訪宿から江戸日本橋までは最短距離で結んでいましたが、中山道の方が人の往来が多く良く整備され宿場も充実、安全割安で利用出来、逆に甲州街道は軍用目的の天領を通過する事は敷居も高く、不便だった事から西国の諸大名からは遠慮されたようです。元禄3年(1690)までは御茶壷道中も利用し、宝永4年(1707)には谷村藩主秋元喬知の代に諏訪番所の位置が乙女坂の上に遷っています。
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